楽器を古い楽器に変えて、ある程度、アンブッシュアが落ち着いてきたが、まだ、予断は許さない。これが、迷える老羊の高齢者での楽器取得の難しさだ!
私が12歳で初めてトロンボーンを吹いた時、アンブッシュアだの音色の良し悪しなど、全く考えていなかったし、そこまで知識もなかった。故に、無心で、何も不安がなく、ただただ無邪気に思い切って吹けたことを覚えている。
私の田舎の中学校は3階が音楽室で、その踊り場が吹き抜けのコンクリートむき出しの渡り廊下になっていて、遠くに(3㎞ぐらい先かな?学校と自衛隊の間には数軒の民家と広大な畑や田んぼが広がっていた)自衛隊が見えるのだが、そこの音楽隊の練習が風向きによってはよく聞こえてきて、私は楽器を思いっきり吹いて、私の音がそこに聞こえるように張り合ったものだが、聞こえると、向こうからも返事(楽器の音で)が来て、聞こえてるのを楽しんだものだ。
そこまで無心に楽器が吹けた。
確かにトロンボーンとフルートじゃ音の大きさや、吹奏感は違うが、迷いなく、無心に練習できることは、子供であることの特権かもしれない。
いま、60歳を超えて、楽器の習得がどれほど至難の業かを、思いっきり感じてしまう。
ただ、楽器を演奏する喜びは、その当時から全く変わっていないのかもしれない。なぜなら曲を演奏出来た時の達成感と感動は、その当時と全く一緒なのだから。
音楽はすべてにおいて、何を表現したいか?そしてそこには無邪気で無心で汚れのない感情が必要なのだろう。
『まことに、あなたがたに告げます。子供のように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません』
【マルコ 10:15】
Truly, I say to you, whoever does not receive the kingdom of God like a child shall not enter it.