2026年5月29日金曜日

宗教は私的なもの

これも何回も言いますが、宗教は私的なものでなければいけません。
なぜなら、宗教が徒党を組んだ時の恐ろしさは多くの歴史が証明しているからです。

そもそも信仰や崇拝は誰のためですか?
あなた自身、私自身の為であり、広げても家族、親友、知人ぐらいまででしょう?
或いは、確かに人類の幸福を祈ることもあるでしょう。

しかし、その祈る行為はあなた1人の私的な行為であり、誰かと一緒に祈ったからと言ってその祈りが集団になって強められるでしょうか?
あなたの祈りはあなた自身の祈りでしかなく、私の祈りも、また、私自身のものでしかありません。
なぜなら、その祈りの思いは、人それぞれであり、完全に一致した祈りではないからです。

例え同じ場所で(例えば教会)祈ったとしても、私が私自身の幸福を祈り、あなたは人類の幸福を祈れば、その祈りは共通のものではありません。また、2人が同時に人類の幸福を祈っても、その人類が何を指すかは個々の想像の範疇でしかありません。
つまり、徒党を組んでも集団になてっても、その信仰、崇拝は個々それぞれの祈りなのです。

故に宗教は私的なものでなければいけません。
イエスも祈った時、寂しいところで一人で祈っていたこと(マルコ 1:35参照) を知ってください。

『あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます』
【マタイ 6:6】
But when you pray, go into your room and shut the door and pray to your Father who is in secret. And your Father who sees in secret will reward you.
(Matthew 6:6)
My prayer



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