夏目漱石の本に「道楽と職業」という随筆があるが(私はまだ読んだことはない)、まぁ、道楽と職業の違いは、端的には収入の有無の違いだとは思う。一読されたし!
それで、少し思ったのが、趣味と道楽の違いはなんだろう?ということだ。
例えばギャンブルを趣味だという人もいる。しかし、その度が超えると、もはや、趣味では収まらない。
例えば、私のように楽器の演奏を道楽だとしよう。しかし、楽器の演奏のその道は決して楽なものではない。
例えば酒を趣味だと言う人もいる。しかし、それも度が超えると、もはや、趣味ではなく中毒になる。
例えば、私のような楽器の演奏を道楽とした場合、楽器の演奏に中毒したと言っても、そこに害悪はない。
してみれば、趣味と道楽の違いは、己にとっての有害無害で判断できるのではなかろうか?
ギャンブルや酒、美食や女遊びは、その道は安楽なものであり、しかし、度を超えれば有害なものになる。これは正に道楽ではなかろうか?
そして趣味は、ギャンブルや酒、美食や女遊びと言った害を与える可能性が極力、低下する(度を越えれば、趣味も道楽に陥る。演奏もできない200万円のフルート購入は正に道楽だ!)ものではなかろうか?
私はギャンブルや酒、美食、女遊びを否定はしない。ただ、私が生きてきて、ギャンブルや酒、美食、女遊びは私にとって害悪でしかなかったことは史実である。
ギャンブルや美食、女遊びは経済的な理由もあるし、体力的な理由もあって、もうハマることはないだろう。ただ酒だけはまだ止められないがこれも加齢と共に飲めなくなるのは否めない。
良い年の取り方とは道楽から卒業し、趣味に勤しむことだと私は思う。
そして愛を忘れないことだ!
生きてる中で、愛する者と共に生きることは道楽でも趣味でもない、それは運命なのだ!
『日の下で神から賜ったあなたの空なる命の日の間、あなたはその愛する妻と共に楽しく暮らすがよい。これはあなたが世にあってうける分、あなたが日の下で労する労苦によって得るものだからである』【伝道の書】
Enjoy life with the wife whom you love, all the days of your vain[a] life that he has given you under the sun, because that is your portion in life and in your toil at which you toil under the sun.
(Ecclesiastes 9:9)
完璧に弾くことの難しさ・・・・
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