『イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」』
Then said Jesus to them again, Peace be unto you: as my Father hath sent me, even so send I you.
My angel |
嘘、偽りをわたしから遠ざけ、貧しくもなく、また富もせず、ただなくてはならぬ食物でわたしを養ってください【箴言 第30章 第8節】Remove far from me falsfood and lies.Give me neither poverty nor riches. Feed me with the food that is needful for me. (Proverbs 30-8)
『いちじくの木は花咲かず、ぶどうの木は実らず、オリブの木の産はむなしくなり、田畑は食物を生ぜず、おりには羊が絶え、牛舎には牛がいなくなる。 しかし、わたしは主によって楽しみ、わが救の神によって喜ぶ』
Although the fig tree shall not blossom, neither shall fruit be in the vines; the labour of the olive shall fail, and the fields shall yield no meat; the flock shall be cut off from the fold, and there shall be no herd in the stalls: Yet I will rejoice in the LORD, I will joy in the God of my salvation.
My angel |
差別とは同じ立場の者同士を不条理によって蔑むことです。
『たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。』【1コリント 13-1】
『たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。』【1コリント 13-2】
愛を知らない人は不条理に隣人を蔑むのかも知れません。
私は親切ですか?
私は寛容ですか?
私は礼儀正しですか?
私は利欲ですか?
私は正義ですか?
私は真理ですか?
私は我慢しますか?
私はすべてを信じますか?
私はすべてを期待しますか?
私は忍耐強いですか?
私に愛はありますか?
私は私の御霊が存在している限り、問い続けなければいけません。
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My Sin |
聖書を1度きり読んだだけで全てを理解できる人が神様に選ばれた人なのかもしれない。
私はもう何回読み返しただろうか?
『それは、こう書いてあるからです。「私は知恵ある者の知恵を滅ぼし悟りある者の悟りを退ける。」』(1コリント人 1-19)
は私に疑念と不安をいつももたらしてましたが、
今日読んで少し、ほんの少し、理解できたかもしれません。
神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。(1コリント人 1-21から)
また、
キリストが私をお遣わしになったのは、バプテスマを授けさせるためではなく、福音を宣べ伝えさせるためです。それも、キリストの十字架がむなしくならないために、ことばの知恵によってはならないのです。(1コリント人 1-17)
十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。(1コリント人 1-18)
割礼が無意味であるように、洗礼も無意味なのです。
モーセの十戒を破った割礼者が信じる人でしょうか?
聖書を一度も読んだことがない洗礼者が信じる人でしょうか?
割礼や洗礼によっては決して、贖われません。なぜならそれは型でしかないからです。
かれらは聞くには聞くが、決して行わない。
いや、聞くこともしない人は、割礼も洗礼も無意味なのです。
故に、私は絶えず聖書を読みます。
それが私の贖いなのです。
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My Sin |
『さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである』 Now faith is the assurance of things hoped for, the conviction of things not seen. My angel