私の種(神の言葉)は「いばら」に落ちた種なのです。
私は神の言葉を切望しますが
世間の心遣いや、富や、怠惰、快楽、好色、欲望、誘惑によって
ふさがれ、実が熟さないのです
私は聖書を何度となく読み
その章もその節も知っていながら
いまだに好色や快楽、欲求や欲望に溺れているのです
私は多くの罪を犯しました
私はその罪以上の罪である神を汚したのです
人の子を汚すことは許されますが
聖霊を汚すことは決して許されないのですから・・・(ルカ12-10)
故に私はもがき苦しみます
いばらの地獄から抜け出るように
忍耐と我慢で聖書と言う力で
光の当たるところまで茎を伸ばすしかないのです
それが私の生まれてきた贖いなのです
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