2025年7月27日日曜日

私の罪

私は多重人格者です。
故に、
善を行うことを誰よりも強い気持ちで持たなければいけません。
なぜなら多重人格はその表裏性が必然的に善と悪によって分断されるからです
私は私の悪を知っていながら、その悪から抜け出そうとしません。むしろ、その悪が私にあることを、私は喜んでいるのです。『ローマ人の手紙 第7章』に書いてある通りです。

『わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。もし、望まないことを行っているとすれば、律法を善いものとして認めているわけになります。そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます。「内なる人」としては神の律法を喜んでいますが、わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか』(ローマ人 7:15-24)

私は本当に惨めな人間です。
救いようのない邪悪な人間です。その贖いのため、生まれてきた罪のため、私は聖書を読むのです。否、読まなければいけないのです。
My Sin



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私の罪

私は多重人格者です。 故に、 善を行うことを誰よりも強い気持ちで持たなければいけません。 なぜなら多重人格はその表裏性が必然的に善と悪によって分断されるからです 。 私は私の悪を知っていながら、その悪から抜け出そうとしません。むしろ、その悪が私にあることを、私は喜んでいるのです。...