すなわち、律法は、正しい者のためにあるのではなく、不法な者や不従順な者、不敬虔な者や罪を犯す者、神を畏れぬ者や俗悪な者、父を殺す者や母を殺す者、人を殺す者、淫らな行いをする者、男色をする者、誘拐する者、噓をつく者、偽証する者のためにあり、そのほか健全な教えに反することがあれば、そのためにあると知っています。1テモテ 1:9-10
ちなみに男色(女色)と同性愛は全く別物です。なぜなら男色(女色)には愛が存在しません。明確に言いますが、性風俗での性行為の時にお互いに愛ではなく欲望しかないのが良い例です。同性愛は、言葉の通り、同性に対する互いの愛です。異性愛と同じです。故に聖書は同性愛を否定していません。
「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない」ガラテヤ 5:22-23のですから。My Sin
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