2022年6月12日日曜日

私の運命

自由とは何でしょうか?

日本人の自由の価値観は?

既にその概念は平安時代にはあったようですが、

「わがまま」「身勝手」「気まま」

これがその当時の自由の概念。

そして日本人がイメージする自由。

私が中学のころ、自由とは?と先生に聞くと

「本当に自由になりたければ、無人島で一人で生きてゆくことだ」

と・・・・

日本の教育者ですらこの程度の価値観しか持っていません。


夏目漱石の「私の個人主義」の中には

「我は我の行くべき道を勝手に行くだけで、それと同時に、他人の行くべき道を妨げない」とあり、また

「義務心を持っていない自由は本当の自由ではない・・・そうした我儘な自由は決して社会に存在しえない」とも書いてあります。

能動的な自由の概念から受動的な自由の概念に変化しました。


然し聖書(世界)の中の自由とは?

『兄弟たち。あなたがたは自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕え合いなさい』ガラテヤ人 5-13

これはつまり自由とは能動的(利己的)でも受動的(被虐的)でもない、と言うことです。

愛をもってすれば、実は誰でもが自由なのです。

あなたが自由でなければ、私は決して自由にはなれません。何故なら私があなたの自由を奪った瞬間に、あなたも私の自由を奪うからです。これが憎しみです。

愛を持ってすれば、私は貴方の自由を奪くことは決してできないし、あなたが私の自由を奪くことも絶対にできないのです。

そして、それはこの一句に集約されます。

『あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい』レビ記 19-18

これが私の「自由」と言う概念の結論です。










0 件のコメント:

コメントを投稿

今日の聖書【ヘブル人への手紙 第11章 第1節】(Hebrews 11:1)

『さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである』 Now faith is the assurance of things hoped for, the conviction of things not seen. My angel