隣人にとって私は隣人なのです。
では、隣人とは?
『ある人が、エルサレムからエルコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その着物をはぎ取り、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。たまたま、祭司が1人、その道を下ってきたが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合せ、彼を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。次の日、彼はデナリ2つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った「介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。」』ルカ10-30~35
私の隣人にとって私は隣人です。
私が偽善者である証は、私は祭司であり、レビ人であるからです。
私は臆病で卑怯で惨めで哀れな人間です。
My Sin |
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